「ほらなっ やっぱやんだだろ?」
「………うん」
まだ薄暗い空を眺めながらぼんやりと答える隣を、ブラブラと歩く。
「でもまぁ 濡れなくてよかったよ。けっこう酷かったからな」
まぁ…… 霞流さんからもらった制服が濡れなくて、良かったかな。
だが、そんな言葉は口が裂けても言えない。
「別に濡れても良かったんだけどね」
「そう言うなって」
ほとんど使わなかったコンビニのビニール傘を肘にかけ、両手を後頭部で組んで見下ろす。その先で、美鶴が視線を前方へ戻す。
「あの雨じゃあ、ずぶ濡れだったぜ。風邪引くよ」
「だったら、帰れば? ずぶ濡れじゃん。なんでついてくんのよ?」
悪いけど、部屋に入れるつもりはないからね
そんな視線を受けて、聡はチロリと視線を上へ向ける。
別に、入れてくれなんて言わねーよ
山脇瑠駆真が用意した、美鶴の住む高級マンションは駅から近い。歩いてもそれほど時間はかからない。
だが、洗礼された町並み特有の静けさが漂い、少し大通りから入ってしまうと人気も少ない。
美鶴はかつて、帰宅時に襲われた経験がある。場所は今とは違ってもっと治安の悪い下町での出来事であったが、では街灯が整備されたこの場所ならば絶対に安全だとは言い切れない。ましてこのような町並みは、他人には冷たい。
別にボディーガードを気取るつもりはないが、機会があれば家まで送ってやりたいとは思う。特に今日は、珍しく瑠駆真がいない。せめて家へ送り届けるくらいの役目、許して頂きたいものだ。
ウザイなぁ
聡の心中を察してか、美鶴が辟易とした視線を投げ、プイッとすぐに逸らしてしまった。
いつも通りの美鶴。無表情で無愛想で、何を言ってもほとんど簡潔な答えしか返してこない。時折カッと顔に血を昇らせて怒りを撒き散らしてくることもあるが、それでも普段は憎たらしいほど冷静な彼女。
先ほどの動揺など、もはや微塵も見られない。
傘を買って戻ってきた駅舎の中で、一人椅子に蹲り頭を抱える美鶴。肩を叩くと同時にひどく驚いて飛び上がった美鶴。その表情があまりにも蒼白していて、聡はその訳を問いただすことができなかった。
「逃げたりしたら、明日学校でキスしてやるからな」
あの言葉がマズかったのか……?
考えてみれば、まるで脅しだ。
雨の中へ飛び出した後、少し後悔もした。
全校生徒の前で大声をあげて告白したことを、美鶴は今だに気にしている。
ちょっとやり過ぎたかなとも思う。だが、あの時は他に手が思いつかなかった。
だって、美鶴が信じてくれないから……
聡がどんなに想っているのか、美鶴はちっともわかってくれない。意固地なくらいに拒絶する。
自分を想ってくれる人など、この世の中にはいないのだ。
まるで悲劇のヒロインにでもなったかのように、浅ましく卑下する。
その態度は、どうせ自分など… と己を嘲笑いながら、だが謙遜しているワケではない。むしろ、自分をそうさせる周囲への逆恨み。
いい加減にしろよっ!
そう叫びたい一方で、美鶴をそうさせてしまったのは自分なのかと、考えてしまう。
俺の言い方がマズかったのか……
そんな後悔の念を胸に抱くのは、これで何度目だろうか? もうほとんど毎日、暇さえあればそんなことばかりを考えているような気がする。
「仕方ねーじゃん」
失恋して落ち込む美鶴へ投げた言葉。
美鶴が澤村なんて男に想いを寄せていたという事実。ただその事実に嫉妬して、そんな言葉しか掛けてやることができなかった。
もっと気の利いた言葉を掛けてやっていれば、美鶴はこんなに変わってしまうこともなかったかもしれないのに……
俺は何をやっても―――っ!
思えば思うほど、悔悟が後から後から湧いてくる。
あの時だってそうだ。
瑠駆真という存在。彼が美鶴の部屋で一晩を過ごしたという事実を知るや、聡はどうにも自分を抑えることができなくなってしまった。
結果どうだっ?
自問すると、両手に美鶴の感触が甦る。奪った唇の柔らかさに全身が――― 熱くなる。
俺は――― どうしていつも、こうなんだっ
いつもそうだ。我を忘れて、見境なく振舞って、みっともなく狂乱して……… 本当は、もっと役に立ちたいのに。
「聡っ! やめてっ!」
遠い記憶の彼方で、母親の悲しい声が響く。
俺は、どうしたら? どうしたらいいんだ?
――――っ! ガツッ………
競り上がる問いかけに苛立ちを募らせていた聡。一瞬何が起こったのかわからず、双眸を見開く。
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